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67回目の終戦記念日… 甲子園球場バックスクリーン裏で定例宣伝行動です

 侵略戦争反対!を命かけて闘かつた日本共産党の誇りを持って、甲子園球場前で終戦記念日宣伝行動です。

 67年前の今日、私は加古郡天満国民学校2年生だった。母の叔父宅に父親と兄以外5人が疎開していた。午前中はアメリカ軍機がやってきて警戒警報発令。その時に「正午から重大放送がある」と繰り返し放送された。

 その当時はラジオの無い家も多かったのでしょう 近所の農家の方が大勢集まって聴いた。何を言ってるのかさっぱりわからなかった。

 皆さんお互いに顔を見合わせて「??…」の感じでした。

 大伯父だけが「敗けたがいや」と言うも、皆さんきょとんとしていた。
 
 それほど、一般の人は、うちのめされていたのに「敗ける」という認識を持っていないひとが多かったのでしょう。

 放送後母親が1歳の弟を背負って別の親戚の家へ歩いて行くのに、後ろからとぼとぼとついって行ったのを覚えている。

 暑い日差しだったからか、田や畑には人影がなかった。『8月15日の正午から午後1時まで、日本中が、森閑として声をのんでいる間に、歴史は。その巨大な頁を音もなくめくっていったのであった。』まさに、このような状態だった。残念ながら小学校、いや国民学校2年生では『歴史の頁』がめくられた、とまでは考え至らなかった。

 だが、あくる日は学校の登校日、それまでは真夏というのに綿を入れた“防空頭巾”を持参していたがこの日は1人を除いて持って行かなかった。

 やはり、一晩経たら親たちはやれやれと思い、防空頭巾など不要と思ったんでしょうね。しかし、若い女先生は怒りましたよ「どうして防空頭巾を持って来なかったのですか。先生は負けたと思っていません。必ずカタキを取ります。宮本君はえらい!」というようなことを語り怒っていました。私たちはポカンとしていました。

 その宮本君というのは神戸市内から疎開してきた生徒でした。
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阿波角孝治

Author:阿波角孝治
行政書士
日本共産党鳴尾北支部広報係
自治会世話人

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